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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)5156号 判決 1967年12月23日

原告 石井通夫

<ほか三名>

被告 東京都右代表者知事 美濃部亮吉

右訴訟代理人弁護士 吉原歌吉

右指定代理人 大川之

<ほか二名>

主文

一  被告は、原告石井通夫に対し金五万円、原告高橋利明に対し金二万円および右各金員に対しそれぞれ昭和四〇年六月三〇日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告石井通夫および原告高橋利明のその余の請求ならびに原告福留定一の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用中、原告石井通夫、原告高橋利明と被告との間に生じたものは、各々これを二分し、その一を被告の負担とし、その余および原告福留定一と被告との間に生じたものは、各原告の負担とする。

事実

第一双方の申立

(原告ら)

「被告は、原告石井通夫に対し金五二万九九〇〇円、原告福留定一に対し金三二万三六八四円、原告高橋利明に対し金一〇万円およびそれぞれ右各金員に対する昭和四〇年六月三〇日以降各完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言。

(被告)

「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。≪以下事実省略≫

理由

一  原告石井通夫の請求について

1  請求原因第一項1の事実は、当事者間に争いがない。そして、右事実に、≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

原告石井は、昭和三八年一二月二九日国道四号線でタクシーを運転中道路交通法違反(速度制限違反)を犯したとの被疑事実のもとに三回くらい警察から呼出を受けたが出頭しないでいたところ、昭和三九年七月二〇日午前七時頃勤務先の睦交通株式会社で警視庁下谷北警察署員によって逮捕され、同日午前一〇時頃同署新田巡査部長、同中島、町井巡査に護送されて、東京都墨田区錦糸町四の三所在の警視庁交通部交通処理課(当時は、交通第一課)強制手続班取調室に連行された。そこで同交通処理課木村誠一巡査部長の取調べを受けたが、原告は、この取調べにおいて、逮捕が不当であると訴えたほか被疑事実については一切を黙秘すると述べ、五分ぐらいで取調べは終った。

木村巡査部長は、黙秘した旨の供述調書を作成した後、背後の出入口の外側に設けられていた待合所の長椅子で待機していた町井巡査らに対し、施錠して待たせておくように指示して向きかえった途端、原告が大声をあげて立ちあがり、同所から約二メートル離れていた取調室出入口に向って歩きだした。そこで、木村巡査部長の隣席において他の被疑者を取調中であった交通処理課重谷赴夫巡査部長は、原告が逃走するものと判断し急きょ席から立上り、木村巡査部長の背後を通りぬけ、右取調室出入口附近において、右出入口を背にし、原告に向って右斜め前方から、原告の左手を自己の左手でもち、右手で原告の肩を押えつけ、また、同室において送致書類を作成中であった交通処理課渡辺常雄巡査部長も重谷巡査部長とほとんど同時に立上り、原告の右脇の方から、右肩に左手をかけ、右手で原告の右手をつかんで原告を押えた。

そこへ、前記待合所から新田巡査部長、町井巡査もかけ寄り、重谷巡査部長が、「手錠」と言って施錠を指示したので、町井巡査が、まず渡辺巡査部長の持っている右手に施錠し、ついで重谷巡査部長のつかんでいる左手に手錠をかけようとした。ところが、原告は、これを拒むようにして左手を前方に出さなかったので、重谷巡査部長は、力を入れて原告の左手を自己の左手で前方に引き出させたうえ、町井巡査がこれに施錠したが、その際原告の左手は、ねじれた状態であったので、手錠は左手首内側にくいこんだままかけられた。原告は、町井巡査によって、前記待合室の長椅子に座らされて待機させられ、四、五分後、「手が痛い」と述べて同巡査に訴えたところ手錠はゆるめられた。以上の事実が認められる。

≪証拠判断省略≫

2  ≪証拠省略≫によると、原告石井は、前同日検察官の取調べを受けて釈放された後、警察官の同行の下に警察病院へ赴いて同病院の中西医師の診断を受け、さらに同日午後七時頃自から代々木病院において中田友也医師の診断を受けたのであるが左手首内側の腕関節から約五センチメートル上のところに長さ約一センチメートルにわたる擦過傷があり、左手全指は、半伸展位を保っていて自力では展伸運動ができず、左手の小指と母指とを接触させることができなく、左手全指の掌側にはしびれ感が、左手前腕尺骨部分には異常感が、頸椎、左鎖骨上窩部において圧痛があった。そして同月二二日中田医師により約二か月の治療を要する左上腕神経叢損傷、翌二三日警察病院において井上良行医師により三週間の加療を要する左尺骨神経不全麻痺、左前腕届筋挫傷、同年八月一三日同病院関口武男医師により右病名によりなお二週間の治療を要するとの診断をそれぞれ受け、その間、同病院に通院して電気、マッサージ等の治療を施し、同年八月二〇日まで就労できなかったことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

しかして、右認定事実および≪証拠省略≫を総合すると、原告の左腕の上腕神経叢または尺骨神経の損傷は、前記擦過傷や手錠による左手首部分の圧迫が原因ではなく、左腕の過度の伸展によるものであることが認められるから、右神経損傷は、前記認定のように、重谷巡査部長が、施錠を拒むようにして左手を前方に出さなかった原告に対して、右手で原告の肩を押え、力を入れて、自己の左手で原告の左手を、その前方に引きださせ、原告の左手がねじれた状態になった際に生じたものと認めるのが相当であって、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  ところで、警察官が、被疑者を逮捕し、これを留置するに際しては、強制力を行使して、身体を拘束し、その必要に応じて戒具を使用する等相当な処置をとることができることはいうまでもないが、手錠等の戒具は、被使用者の身体に直接の物理的拘束を加える器具であって、被使用者の身体を傷つけるおそれが多分にあるから、その目的を達成するために戒具を使用する必要性が認められる場合であっても、これを使用するにあたっては、緊急制止の必要があってやむをえない場合でないかぎり、被使用者の身体を傷つけ、あるいは著しく苦痛を伴うような不自然な姿勢を強いて、不測の事態を招来することのないように厳に注意すべき義務があるものといわなければならない。

≪証拠省略≫によると、前記取調室は、西側と南側を書籍等によって仕切り、東側はコンクリート壁で巾一・六メートルの窓があり、北側には巾員一・六二メートルの前記出入口がある広さ約一四平方メートルの部屋であって、右出入口の外側はコンクリートのたたき及び二段の石段があり、その北側に六脚の前記長椅子が配置されていて、その北側は裏庭に面し、西へ進むと公道で、東へ進めば待合所の傍をとおって公道にでることができるが、本件事件当時には、右取調室には、重谷、木村、渡辺の三名の巡査部長のほか一名ぐらいの警察官が在室し、右長椅子には、新田巡査部長、町井巡査ら少くとも三、四名の警察官が待機していたこと、並びに原告は、重谷巡査部長らに押えられて町井巡査に施錠された際、大声をあげたり、もがいたり、重谷巡査部長を押したりして、施錠を拒んだけれども、警察官らに対して自ら立向いあるは反撃行為に出て、乱闘になるなどのことはなかったことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によると原告は、積極的に警察官らに対して暴行を加えようとする態度に出たものではなく、かつその場から逃走することができるような状態にあったものともいえないから緊急制止の必要があってやむをえない場合にあたると認めるには足りないものというべきである。しかも、右手に既に施錠された後において重谷巡査部長が、原告においてなおも逃走するものと判断し、肩を押え、力を入れて、左手を引きださせて、ねじれた状態にし、左手に施錠しようとしたことは、右行為自体はいかに突嗟の間にされたものであったにせよ、日常、同所において同種事件を処理することを職務としている警察官としてはいささか速断に過ぎる行為というべく、したがって、これにより原告に前記損傷を与えた以上は、相当性をこえる違法な行為であり、かつ右行為に及んだ重谷巡査部長には過失の責があるものといわざるをえない。

4  重谷巡査部長が、被告東京都の公権力の行使にあたる公務員であることは当事者間に争いがなく、同巡査部長がその職務を行うについて過失により原告に違法に損害を与えたものであるから、被告は、その損害を賠償すべき義務がある。≪証拠省略≫によると、原告は、前記神経損傷のため同年八月二〇日まで就労できなかったことにより、休業補償として受けた金一万六一八二円を控除し、少くとも原告主張の金二万九九〇〇円を喪失し、右と同額の財産的損害を蒙り、更に右傷害により精神的損害を蒙ったものと認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

しかしながら、原告は、すでに認定したように、大声をあげて席をたち、施錠に際しても、もがいたりする等反発的態度を示したものであって、原告が右のような態度に出なければ、重谷巡査部長も本件行為に及ばなかったものと認められ、結局、原告の前述のような態度が本件事故を誘発したものであることをあわせ考えると、原告にも過失があるものというべく、原告の右過失を斟酌し、更に慰藉料については、前記傷害の部位、程度その他本件諸般の事情も考慮し、被告に対してその責に任ずべき損害賠償額は、財産上の損害に対するものとして金一万円、慰藉料として金四万円を相当と認める。

二  原告福留定一の請求について

1  請求原因第二項1の事実は、当事者間に争いがない。そして、右事実に、≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

警視庁第二交通機動警ら隊所属の沢田正国巡査部長、佐々木国雄巡査、藤井邦彦巡査の三名の警査官らは、昭和四〇年一月二五日朝、タクシー運転手である原告福留が、昭和三九年六月一六日港区芝白金附近路上で道路交通法違反(速度制限違反)を犯したとの被疑事実の下に、原告宅へ逮捕に赴き、沢田巡査部長が原告に対して逮捕状を示し、逮捕する旨を告げたところ、原告は、同巡査部長に対し、「組合の車を今日中に返さなければならないので運転させてくれ。」と述べたので、同巡査部長は、取調べ終了後、原告が車で会社へ行くか、又は原告が所属する組合の者を呼んで車を会社へ持っていくようにさせればよいと考え、その申出を承諾した。

そこで原告がその車を運転し、沢田巡査部長が左脇の助手席に、藤井巡査が沢田巡査部長の後部座席に、佐々木巡査が原告の後部座席にそれぞれ座り、四〇〇メートル位進行して、稲田警察署前附近にさしかかった際、同署前に停車させてあったパトロールカーを同行させようとして、原告に対し、同署で停車するように指示したので、原告は、右指示に従って停車した。

ところが原告は、沢田巡査部長に対して、まず、「車を会社に行かせてくれ。」と言って、拒絶され、三、四回言合っている間に突然ローギアーに入れて車を発進させようとしたので、沢田巡査部長は、とっさに右手をのばしてエンジンのキイを抜き発進しかけた車がとまったところ、原告は、車から降りて前方に走り出した。警察官らは原告が逃走しようとしているものと判断し、あいついで降車して原告のあとを追い、藤井巡査が同車から約一〇メートル先において追いついて、オーバーのすそをつかまえて引張ったところ、原告は、その場に転倒し、そこへ佐々木巡査、沢田巡査部長も追いついて、両巡査が原告をおこし、藤井巡査が施錠したが、原告は、右転倒の際に右肘関節部に傷害を負い、同日東京警察病院において全治一〇日間を要する右肘関節挫傷との診断であったが、釈放後三軒茶屋診療所において同年二月二六日まで湿布、固定、マツサージ等の治療を受けた。

以上の事実が認められる。

≪証拠判断省略≫

2  ところで、本件のごとく施錠されず、原告自身が自己の車を運転していても、すでに逮捕状を示して逮捕する旨を告げ、前後を警察官らが囲んで行動を規制している以上、有効な逮捕状の執行がなされたとみるべきであるが、逮捕中においては警察官が被疑者の身体を拘束し、逮捕の目的とその効力を達成、維持するためには、必要に応じて相当な有形力の行使をなしうるものであることはいうまでもない。しかるところ、前示のごとく警察官らにおいて原告がことわりもなく車から出て走りはじめたのを、逃走しようとするものであると判断して前記認定行為に及んだのは前記認定の事情の下においては、相当性をこえないやむをえない処置というべきであって、警察官らの右行為をもって違法であるものということはできず、その職務遂行にあたっての適法な行為に該当すると認めるのを相当とする。

三  原告高橋利明の請求について

1  請求原因第三項1の事実は、当事者間に争いがない。そして、右事実に、≪証拠省略≫によると、次の事実が認められる。

警視庁勤務の角田尉、金井昭男の両巡査は、昭和三九年一二月九日午前一時半頃、東京都港区芝新橋二丁目一六番地附近を警ら中のところ、同所が午後七時から午前七時まで営業車の通行は禁止されていたにも拘わらず、原告高橋の運転するタクシーが同所附近で駐車していたので、原告に対し夜間は通行禁止だから出るようにと言って注意を与えたが、原告は、「通行禁止の標識を知らない。」などと答えた。そこで警察官らは、原告に運転免許証の提示を求めてこれをメモしたうえ、「通行禁止の標識をみせる。」と言って、両巡査が原告の運転するタクシーの前後をはさんで、前記駐車地点に入ってくることのできる入口附近にある各標識(各標識は、同車の進行方向に向っていずれも右側にある。)を示して廻り、その四ヶ所めである新橋三丁目一八の六の角の標識を示し「これで標識は最後だが、どこから入ったのか。」と尋ねた。

これに対し原告は、「七時以前から入っている。どこに止めていたかは、いいじゃないか。」、「違反なら違反として扱ってくれ。」などと答えたので、角田巡査が車の前部のボンネットの上で交通切符の作成にかかろうとしたところ、原告に「そんなところで作ってくれては傷がつくので困る。」と言われて同車の後部右側の方へ移ったとき、原告は車を発進させ、除行して道路の左側へ寄せようとした。同車の右中央附近に立っていた金井巡査は、これをみて、原告が逃走するものと判断し、すぐにあとを追うようにして、「お前逃げるのか。」と言って、開いていた同車の運転手席右窓から原告の右顔面を殴打した。

原告は、直ちに停車し、右頬に手をあて眼鏡が耳からはずれたまま、「お巡りが殴った。」と叫びながら車から降りてきた。警察官らは、その車の後部座席に原告をのせ、角田巡査が運転して新橋駅前交番へ連行し、ここで交通切符を作成した。原告は、右暴行により全治三日間を要する右顔面打撲傷の傷害を受けたものである。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

2  ところで、前記認定事実からすると、前記の通行の禁止は、道路交通法第七条の規定にもとづくものであり、しかも原告には右禁止に従わなかったことについて少くとも過失の責があるものといわざるをえないから、原告が、同法第一一九条違反の現行犯人であったことは明らかである。しかして、警察官が現行犯人を逮捕しようとするときには、ある程度の実力を行使することは許されるが、それは必要最少限度にとどまるべきであることはいうまでもないところ、本件において、警察官らは、すでに原告の自動車運転免許証の提示を求めてその氏名等を確認し、これをメモに控えていることおよびいったん停止した後に発進した車の進行速度は緩いものであったことなどの前記認定事実の下では、客観的には、原告が逃走するがごとき情況にあったとは認めることができないものというべきであるから、金井巡査において、原告が逃走しようとしているものと判断し、顔面を殴打したのは、逮捕にともなう実力の行使としてされたものとしても、速断に基き、かつ不要、不当な行為であって違法といわなければならなく、右行為によって原告に前記傷害を負わせ、精神的苦痛を与えた同巡査は、過失の責を免れない。

3  金井巡査が被告東京都の公権力の行使に当る公務員であることは当事者間に争いがなく、同巡査がその職務を行うについて過失により原告に違法に損害を与えたものであるから、被告は、その損害を賠償すべき義務がある。そして、原告の受傷の部位、程度等本件諸般の事情を考慮し、更に、本件事故発生については原告が警察官らに対していたずらに反抗的な態度をとってその感情を刺激したことも一半の原因であったものと認められるので、原告の右過失をも斟酌し、被告の原告に対して責に任すべき慰藉料額は、金二万円をもって相当と認める。

四  よって、被告は石井に対して金五万円、同高橋に対し金二万円および右金員に対しそれぞれ前記各不法行為の後である昭和四〇年六月三〇日以降各完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告石井、同高橋の各請求は、右認定の限度で理由があるからこれを認容し、右各原告のその余の請求および原告福留の請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項を適用し、なお仮執行の宣言については相当でないと認めこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 内藤正久 裁判官 後藤一男 豊田健)

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